筆者:野原 邦亮
1873 年に渋沢栄一により第一国立銀行が日本で最初の株式会社として誕生して150 年以上が経ちました。
日本で株式会社制度が導入され、法人が設立できるようになったことは、その後の日本の経済・社会に大きなインパクトを与えました。そのインパクトとしては、まず、資金調達の拡大により大規模な事業を行えるようになったこと、そして、所有と経営を分離することが可能となり、世代を超えて企業を存続させる基盤を得たこと、さらには、法人が法律上の人格を持つ存在となり、「公益性」と「持続可能性」という考えが法人に求められるようになり、渋沢栄一の思想の影響もあり、法人は「社会の公器」としての位置づけを獲得していったことなどが挙げられます。
そもそも日本には明治になるまでは法人(株式会社)の仕組みはなく、法人の代わりにあったのは日本の「イエ」でした。日本のイエには、「商家」と「ムラ」と「藩」の三通りがあり、商家は、血縁である者やない者がひとつのイエを構成し商売を行っていたわけですが、個人商店・家業の延⾧として経営していたため、世代を超えて存続させることは難しかったと言われています。
法人は、経済や社会を持続的に発展させる主体となるわけですが、「法人は死なない」ということが法人の根本的な性質であり、自然人との最も大きな違いです。それゆえ、多くの企業は世代を超えて永続していくために様々な取り組みを行ってきたわけですが、その中で永続化に成功している企業、とりわけファミリービジネスには、スチュワードシップ(stewardship)という概念を受け継いでいることが特⾧のひとつと言えます。
しかしながら、スチュワードシップはファミリービジネスの永続の中心的な概念のひとつであるにもかかわらず、日本の企業経営や承継の文脈では、あまり重視されることがないようにも感じられます。そこで本稿では、スチュワードシップとは何か、そしてスチュワードシップと企業の永続について考えてみたいと思います。
ファミリービジネスの経営や承継の文脈でスチュワードシップが語られるようになったのは、1990 年代以降と言われています。ただ、スチュワードシップそのものの歴史は古く、なぜファミリービジネスにおいてスチュワードシップが語られるようになったのかを理解するためには、その起源と歴史を踏まえておくことが大切です。
スチュワードシップの起源を辿ると、旧約聖書の創世記にまでさかのぼることができます。創世記にはスチュワードシップという言葉そのものは出てきませんが、「人間は神から世界を託された管理人である」という考え方の根拠となる記述がいくつかあります。
1、創世記1 章26-28 節(支配・統治の命令)
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。そして彼らに海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのものを支配させよう。」
神は彼らを祝福して言われた。「生めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地に動くすべての生き物を支配せよ。」
2、創世記2章15 節(耕し守る使命)
主なる神は人を連れて、エデンの園に住まわせた。それを耕し、また守らせるためであった。
創世記は「人間は神のかたちに造られ、世界の管理を託された存在であると記されており、この「支配」と「守る」という二つの命が、後にスチュワードシップの神学の根拠になりました。スチュワードシップのルーツは聖書にあることから、その後も主に西洋キリスト教文明で発展していったことがひとつの特徴と言えます。
中世ヨーロッパでは、主に封建社会で荘園や財産を管理する役職として「スチュワード」が使われていくようになりました。このあたりから、宗教的責任だけでなく、世俗的管理の意味で使われていくようになったと考えられます。
そして19 世紀になり、産業革命後のヨーロッパで企業オーナーと経営者が分離する中で、「経営者は所有者から委託された資産を誠実に管理する責任がある」という意味でスチュワードシップが使われ始めました。
さらに、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの有名な小論『富の福音』(1889 年)では、富裕層は自らの富を「個人的な所有物」と考えるべきではなく、社会から一時的に預かっているものと理解すべきだと説きました。また、カーネギーは、「余剰の富は、富める者が社会のために運用すべき」と述べ、これを「富の管理人(スチュワード)としての責任」として位置づけました。富は神や社会から「託されたもの」であり、個人の贅沢のためではなく社会全体の向上に使う義務があるとしました。カーネギー家やロックフェラー家などの一族は、富を教育、文化、科学の取り組みに資金を提供する先駆者でもあり、スチュワードシップの概念は慈善活動の文脈でも使われていくようになりました。
その後、1940 年代から1970 年代のアメリカ企業はステークホルダー主義の中、クラウン・ゼラーバック・コーポレーションの取締役会⾧を務めたジェームズ・ゼラーバックは、「一般の人々は、企業経営をスチュワードシップ(受託者責任)と捉え、すべての人々の利益になるような経済を期待して国民から託される職務であると考えているのである」と述べています。当時、企業はマルチステークホルダーを重視する中で、経営は株主以外の利害関係者にも配慮する意味でスチュワードシップを使うようになっていきました。
しかしながら、1970 年代以降のアメリカでは、ミルトン・フリードマンとマイケル・ジェンセンが株主第一主義の新しい理論的枠組みを提唱し、ステークホルダー資本主義から株主資本主義へと大きく転換しました。エージェンシー理論が興隆する中、それに対応する考えとしてスチュワードシップ理論が提唱され、ファミリービジネスの研究とコーポレートガバナンスの分野で注目されていきました。
1990 年代以降は、「オーナーシップ・モデル(株主利益最大化)」と「スチュワードシップ・モデル(家族・社会に託されたものを守る)」の対比が議論される中で、「なぜファミリービジネスは⾧期的に持続するのか」という問いに対し、スチュワードシップが注目されるようになりました。そうした流れを受けて、ファミリービジネスは、後継者を「資産の所有者」ではなく「先祖と未来世代から託されたスチュワードシップ的責任をもつ存在」と捉えることで、承継の焦点が財産・所有権の移転という資産防衛の側面だけでなく、価値観・使命・文化の継承という⾧期存続の視点が重視されていくようになりました。
ファミリービジネスにおけるスチュワードシップは、「企業や資産を自分の所有物ではなく、世代を超えて守り、発展させ、社会に役立てるために神(あるいは家族・社会・将来世代)から託されたもの」としての責任を果たす経営哲学と言えます。この経営哲学を後継者や一族が確実に受け継いでいくことが、ファミリービジネスのシステムをサステナブルなものにしていくのではないかと思います。
例えば、日本を代表するファミリービジネスであるサントリーでは、創業者の鳥井信治郎氏の「やってみなはれ」という果敢なチャレンジ精神と、「利益三分主義」という利益を社会に還元する志を創業家である鳥井家と佐治家が世代を超えて受け継いでいることが特⾧であり、強みであると言えます。一族に受け継がれる経営哲学の核心には「一族は社会から託されたスチュワードである」というスチュワードシップが存在し、一族は単に財産を受け継ぐのではなく、企業と社会のスチュワードとしての責任を承継していることが、サントリーの永続性を高めているものと考えられます。
では、スチュワードシップの本質は何かと言えば、スチュワードシップは「託されたものを責任をもって管理し、次世代に渡すこと」であり、それは利他や贈与の精神と重なります。そもそも、企業が法人としての人格を認められるのは、法人は社会にとって有益であると認められるからであり、公益性が前提にあるからです。そして、企業は「儲けるための使い捨ての道具」ではなく、「社会課題を解決していく社会的プラットフォーム」であるはずです。日本では、古くから「三方よし」という近江商人の経営哲学が知られていますが、企業が永く繁栄するための本質は、社会から必要とされる存在であり続けることではないでしょうか。
そのためには、利他や贈与の考えが経営の根っこにあることが必要なのだと思います。だからこそ、スチュワードシップが受け継がれていくことは、企業の永続性を高めていくことになると言えるのではないでしょうか。
スチュワードシップは、自らを駅伝の選手のようなものとして捉える感覚である(ジャスティン・B・クレイグ、ケン・ムーア著『ファミリービジネス経営論』プレジデント社)。スチュワードシップのある人は、「たすきをつなぐ」というファミリービジネスとしての目的が自身の目的と一体化しているため、自分の区間ではどういう役割を果たせば良いかをはっきり自覚しているのが特⾧です。つまり、スチュワードシップが発揮される組織は、短期的な利益の上昇よりも⾧期的なサステナビリティが重視されます。駅伝に例えると、「区間賞を狙うこと」よりも「たすきをつなぐこと」を重視します。なぜなら、いくら自分が早く走ったとしても、次の者へたすきをつなげなければそこですべてが終わってしまうからです。
⾧期的なサステナビリティを重視する企業として注目されているのが、元ユニリーバCEOのポール・ポルマンが提唱したネットポジティブな企業です(ポール・ポルマン、アンドリュー・ウィンストン著『ネットポジティブ 「与える>奪う」で地球に貢献する会社』日経BP)。
ネットポジティブな企業というのは、単に「悪影響を減らす」のではなく、社会や地球に対してプラスの価値を生み出す存在を指します。著書では、ネットポジティブな企業を支える5つの基本原則として、①自社が世界に与える影響に責任を持つ、②(あらゆる時間軸で好結果を目指しながら)より⾧期的な視点をもつ、③複数のステークホルダーに貢献し、そのニーズを優先する、④他社との協業や社会変革を受け入れる、⑤それらすべての結果として、株主に確かなリターンを提供する、と述べています。ネットポジティブな企業は、短期の利益最大化ではなく、世代を超えて持続可能な価値を追求し、株主だけでなく、すべてのステークホルダーを重視するステークホルダー資本主義を徹底していることが特⾧と言えます。
日本の老舗企業やサントリーのように「事業は創業者や社会から託されたもの」というスチュワードシップの発想を持つ企業は、結果として⾧期的にネットポジティブな企業に近づいているように思います。大袈裟な言い方かもしれませんが、スチュワードシップの態度や発想をもつ企業は、地球に貢献し、地球を救う会社になっていくことで、中⾧期的な企業価値向上を実現していけるのではないでしょうか。
では次に、スチュワードシップをどう受け継いでいくかを考えたいと思います。これまで一族がスチュワードシップを受け継ぐ方法としては、制度的・教育的・文化的な方法を用いて様々な取り組みが展開されています。
まず制度的な方法として、ファミリー会議や評議会などのガバナンスの仕組みを設けることやファミリー憲章を策定することで、一族が託されたもの(こと)を、皆で考える機会(場所)を設け、将来世代に渡す責任を考え、それを明文化することなどが挙げられます。
次に教育的な方法として、幼少期から家業の社会的使命や存在意義を次世代教育プログラムとして実施し、スチュワードシップの視点を育んでいく。あるいは、小さな権限移譲を積み重ねることで責任を受け継ぐ成功体験を積んでいくことなどが考えられます。
そして文化的な方法として、一族で創業者や創業の物語を語り継ぎ、「なぜこの会社が社会に必要とされ続けたのか」をナラティブとして受け継ぐ仕組みを整える。または、社会貢献活動や慈善活動を能動的に取り組む習慣をつくり、富は神や社会から託されたものという精神を体現していくことなどが考えられます。
こうした取り組みを粘り強く行っている一族は、結果として事業やビジネスの永続化に成功しているケースが少なくないと思われます。
ここで、スチュワードシップの本質を踏まえ、スチュワードシップを受け継ぐことは何を受け継ぐことなのかを再解釈して考えてみたいと思います。前段でスチュワードシップの本質は利他や贈与であると述べました。そこで、利他とは何か、そして利他の扉を開くためには何が必要なのかを考えてみたいと思います。
その手掛かりとして、政治学者の中島岳志氏の著書『思いがけず利他』をもとに考えてみます。
著書では、まず利他的になるためには様々な困難が伴うことを指摘しています。利他には独特の「うさん臭さ」がつきまとい、利他的行動に積極的な人に対して、「意識高い系」という言葉が揶揄を込めて使われたり、「偽善者」というレッテルを貼られたりすることがあります。しかも利他行為の「押し付けがましさ」は、時に暴力的な側面を露わにします。誰かから贈与を受けたとき、私たちは「うれしい」という思いと共に、「お返しをしなければならない」という「負債感」を抱きます。うれしいんだけれども、プレッシャーがかかるというのが、贈与の特徴です。もし、返礼をする余裕のない場合、二人の間には、次第に「あげる人」「もらう人」という上下関係が構築されていきます。こうして支配-被支配の関係が自ずとできあがっていく。これが利他的な贈与の怖いところだと著者は述べています。
そんな様々な困難が伴う利他ですが、世の中や社会をより良くしていく力が利他には含まれているのは確かです。著者は、利他の本質に「思いがけなさ」ということがあるとしており、利他は人間の意思を超えたものとして存在していると考えています。利他の核心に迫るため、落語『文七元結』の噺をもとに、利他は「自分ではどうしようもない衝動」であることを鮮明に描写し、利他が偶然に、他力によって引き起こされた行為であるという理解を深めてくれます。利他には、意識的に行おうとすると遠ざかり、自己の能力の限界を見つめたときにやって来るという逆説があります。だから重要なことは、私たちが偶然を呼び込む器になることであり、自己を偶然に開いていくことこそ、利他の円環を生み出していく原動力だと述べています。
私たちが偶然を呼び込む器になるためには、自分の意思や計算を超えた利他を自然に呼び込める状態を整えていくことが必要です。そのための主な条件としては、以下のような視点が大切ではないでしょうか。
1、 余白を持つことで、予測不可能な出会いや偶然の出来事が舞い込んでくるようにする。
2、 自分の力ですべてをコントロールできるという錯覚を手放し、自分の限界を自覚する。
3、 自己を偶然に開くため、人に関心を向け、共感することで、思いがけない繋がりを生み出す。
こうした世界観の中で生きることが利他なのかも知れません。
だから特別なことを行う必要はなく、自分が今の場所で為すべきことを為し、能力の過信を諫め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになると考えるわけですが、大事なことは、時間をかけないと利他を呼び込む器を形成できないということです。
つまり、スチュワードシップを受け継ぐための旅は、超⾧期の時間軸で粘り強く取り組むことが何よりも重要だと言うことです。
冒頭、日本のファミリービジネスの経営や承継の場面で、スチュワードシップをどう次世代に伝えるのかがあまり重視されていないのではないか?と述べました。
しかし、日本のファミリービジネスは「三方よし」の近江商人の哲学に代表されるように「託されたものを守る」思想が歴史的・文化的に強く、スチュワードシップを受け継ぐ土壌や基盤は備わっていると言えます。実際、日本の老舗企業では自然とそうしたものを受け継いできた企業も少なくありません。
日本では、スチュワードシップは近江商人の「三方よし」や家訓・家憲、儒教的「孝」など、祖先や地域、世間との関係性の中で自然発生的に育まれてきたのが特徴です。しかしながら、現代は社会や地域が空洞化し、関係性が失われる中、自然発生的にスチュワードシップを育むことが難しくなっているように思います。
共同体の空洞化による個人の感情の劣化が進展しており、個人が倫理に基軸を置く考えを持ったり、内発性や善意の感情を持つことが、以前よりも難しくなっている現代社会の状況を踏まえると、スチュワードシップをどう育み、受け継ぐのかを根本的に考えていかなくてはなりません。
その意味で、私たちがこの課題に向き合うためには、歴史の流れ、人間の欲望の本質、私たちが生み出すシステムとは何か、そのシステムを動かすドライバーは何かを考えていくことが重要であり、そうしたことを考えていく先にサステナビリティを考えることができていくのではないでしょうか。
人間の本質、人間と他者との関係に立ち戻り、人間と社会との関係の本質に立ち戻る。スチュワードシップとは、人間、社会、自然の関係性の本質をどう理解するかでもあるように思います。人間と社会と自然の関係を問うことで、自分は何者なのかを明らかにしていくことにもつながるのではないでしょうか。
今回はファミリービジネスとスチュワードシップについて考えてみたわけですが、スチュワードシップの考えは、地球環境問題や社会の分断と対立、格差や貧困問題など、私たち人類が直面する困難な課題を乗り越える上で鍵となる概念ではないかと思います。本ニュースレターが、ファミリービジネスに限らず、広く社会にスチュワードシップが広がり、受け継がれていくためには何が必要なのかを考えていくきっかけになれば幸いです。
私たちあいわ税理士法人は、ファミリービジネスが社会と共に豊かな発展を遂げ、永く繁栄するための様々な活動を展開して参ります。